Jornal Colonial Guatapara‐SP BRASIL

 2005年9月5日発行

 367号月刊紙

 

移民妻 わらびを干して 気品あり   念腹

2005年8月6日

 

 第六回総務財務委員会       

主な事業報告

 

7月7日、ミナス在住の下坂氏がパラグアイのイグァス移住地の3名の方と来耕。

7月10日、入植四十三周年寮並びに記念碑除幕式が好天に恵まれ、盛大に行われる。

7月15日〜17日、県連主催サンパウロの日本祭にバス一台で参加。

7月17日、日本語学校生徒、バストスの卵祭にバス一台で演芸で参加(太鼓、よさこいソーラン踊り等)。

7月19日、日本の演歌歌手井上祐見さん、中島マネジャーと来耕。懇親会を行う。

7月23日、第四十二回総合運動会が行われる。緑組(D区)が優勝。

8月1日、佐賀県より脇山さんの叔父さん他二名来耕。

8月4日、静岡県常葉学園大学より鈴木三平教授、当移住地初期のブラジル学校の調査に来耕(今回で5回目)。    8月13日まで滞在。

8月6日、文協役員、マットン市に初期日本移民の顕彰碑除幕式に招待を受け、参加。

8月6日、当移住地の山形県人会支部創立四十周年を記念し、湖畔公園で芋煮会を催す。

  協議事項

・島田(旧姓平林)鈴子さん御夫婦の準会員加入について、承諾。在サンパウロであるが、停年後はグァタパラに住むとの事。

・故森田前JATAK常務の意向ミサを8月10日(水曜日午後7時半)の通常ミサに入れ、執り行う。

・8月13日、入植祭運動会の慰労会をUSPの先生や学生方も日本食を食べたいとの事で一緒に午後五時より行う。

・青年隊は湖畔公園のイッぺーの花が咲く頃、八重尾元所長親子9月1日、大久保」ATAK会長(山形県人)、9月11日〜21日の来耕について。

その他

・8月20日、21日、川上文協会長、援護協会の施設訪問旅行に参加。

・水道、四号ポンプの効率が悪くなったので、故障の前に交換。

・低地、堤防上流の土取り場の土を個人に提供したが、七月一杯で打ち切る。

・市役所がダンプカー提供、道路補修があれば手伝うとの事。

・墓地に便所を建設、市が建てるが、材料は文協持ちとのこと。

・8月18日、19日、セブラエ大豆の料理講習会。

・9月10日、アチバイアの花と苺祭に参加。

8月21日、セントロ・オエステOB野球大会、グァタパラ球場で行う。三チーム参加、ダァタパラ優勝。

 

マットン市の顕彰碑除幕式に参加

 

 

    グァタパラ文協ではマットン市(アララクァラより25キロ)の顕彰碑除幕式の招待状が届いたことから、去る8月6日川上文協会長始め役員数名で早朝より参加した。

・    これはマットン市の初期日本移民の顕彰碑の除幕であったが、70家族の日系人が住んでいるが、催には日系人は係わっておらず、日本人会も無いとの事であった。

・    顕彰碑は屋根付きで日系人の先亡者二百六十二名の名前が刻まれており、日本人の死亡者全てが克明に記録されておられたとの事で、その中には子供の死亡者が大変多かったとの事である。

・    サンパウロのブラジル日本文化協会の上原会長他二名の方々も招待されており、丸橋氏は日本人はガランチードと言われているが、ここマットンはブラジル人がガランチードであると述べられ、これを機に日本人会が出来ればうれしいと挨拶されたとの事である。

 昼食は出なかったが、楽団は君が代を演奏され、マットン市は大変親日の市であるように思われる。

 

慰労会にUSPの検査中間報告

 

 去る8月13日、午後5時より文協では入植祭と運動会の慰労会を行ったが、今移住者の糖尿病の検査を行っているUSPの教授と生徒達が日本食を食べたいとの事と、日本人がどの様な食事をしているかを見るのを兼ねて、一緒に行った。
 午後5時からと早かったのは、生徒の中には夜学の方も数名おり、その人達に食べてもらうのは勿論、日本語学校の生徒の太鼓やソーラン踊りも見てもらおうと早めの開会となった。
 USPの教授、生徒方は日本食はもちろん、やきそば始め、大変美味しいと言われたが、日本語学校の生徒の一糸乱れぬ見事な太鼓の演奏やソーラン踊りにも盛んに拍手を送っていた。お腹もー杯になったころ、USPの糖尿病の検査の中間報告を行ったが、それによると今まで86名の検査をしたが、移住者の約70%が不健康体とのことであった。囚みに

・糖尿、 患者12.6%。  予備患者21.8%。    普通69.0%。

・血圧、 非常に高い43.7%。  高い29.9%。   普通26.4%。

・コレステロール良質、       高い78.2%。    普通21.8%。

・コレステロール悪質、       高い14.9%。   普通85.1%。

・コレステロール総合、       高い57.5%。   普通42.4%。

・体重、 太り過ぎ5.7%。    予備33.3%。    普通61.0%。

 という事で、糖尿病についてはバウルーの約40%より大変少なくて良いが、血圧の高い人やコレステロールの高い人が多く、約70%の人が健康体ではないという事ではある。まだ若い人たちが検査を受けていないので、これから若い人たちが検査を受ければ健康体のパーセンテージが上がる事と思う。 

     

 岡山県人ブラジル移住95周年記念行事 - グァタパラ移住地で行われる

 

 岡山県人ブラジル移住95周年記念行事が去る8月7日午前10時よりグァタパラ移住地で日本からの使節団、サンパウロからの県人会関係者等多数の参加者をお迎えして行われた。先ず午前十時よりグァタパラ移住地拓魂非前において先没書慰霊ミサをマシェル神父様により執り行い、献花と参加者全員に焼香して頂いた。 ミサ終了後、岡山県人会の要望により五本の記念植樹を幼稚園裏の公園予定地に関係者代表の方々にして頂いた。
 会場を中央公民館に移し、記念式典が行われ、在伯岡山県人会岡絢(まこと)会長は挨拶で、岡山県人のブラジル移住は1910年の旅順丸が最初で31家族が(28家族との話もあった) ファゼンダグァタパラに入植したとの事で、グアタパラが岡山県人移住の発祥の地であるとの事であった。
  来賓祝辞に入り、岡山県石井正博知事の祝辞を黒崎一秀氏が披露して下さり、続いて岡山南米友の会鳥越浩氏が挨拶されたが、鳥越氏は後で表彰されたが、22回目の来伯との事であり、グァタパラにも神楽を引率して来られ、ママさんバレーは2回も引率してグァタパラに来られた事のある方で岡山県は移住者、又ブラジルに深く係わっておられる事が知れる。
 続いて川上淳グアタパラ農事文化体育協会会長が祝辞で、岡山県の記念行事の会場にグァタパラ移住地を選んで頂き、移住者一同を代表して御礼申し上げます。岡山県の交流課では、サンパウロ県人会もグァタパラ新聞を読まれ、グァタバラの事を良く知っているという方が沢山おられ、有り難く思います等述べられた。
 式典終了後、懇親会に入り、乾杯の音頭も国際交流で乾杯、サウーデ、ばんざいと音頭をとられた。昼食は岡山県人会グァタパラ支部の方々が準備されたもので、岡山県人全会員にケァタパラからも農事文化体育協会役員始め各県人会支部長を招待され、約百名の賑やかな記念式典となった。最後には2年前に石井県知事が皆と一緒にお別れの歌として北国の春を全員で合唱したが、その例にならって今回も全員で北国の春を歌い、閉会とした。

 

 岡山県人ブラジル移住95周年記念行事

 

知事祝辞

 

 岡山県出納長の黒崎です。本日は、この記念行事にお招きいただきありがとうございます。岡会長をはじめ、ブラジル岡山県文化協会の皆様方に心からお礼を申し上げます。岡山県知事石井正弘から皆様方へのお祝いのこ とばをことづかっておりますので、ここでお読みいたします。

 岡山県ブラジル移住95周年を岡山県民を代表して、お祝い申し上げますとともに、本日、とりわけ皆様方の思い入れの深いここグァタパラの他において、記念行事が盛大に開催されますことを、心からお慶び申し上げます。

 1910年、28家族、120数名の岡山県人の方々がブラジルの大地を踏まれてから95年、この間には筆舌に尽くし難い数々の困難があったかと思いますが、それらを一つ一つ乗り越えて今日を迎えられたわけでありまして、皆様の御努力に対し深く敬意を表する次第であります。申し上げるまでもなく、ブラジルにおける日系社会の発展には、誠に目覚ましいものがありますが、そこにはとりわけ、岡山県人の方々の多大なご貢献があったと伺っております。

私は、今から3年前の2002年に、当地を訪れ皆様方の活躍される姿を目の当たりにし、大変心強く感じました。これはまさに95年の長きにわたり、異質の言語、風土の中で、自らの進む道を力強く切り開いてこられたご努力の賜物であると深く感銘を覚えた次第であります。

 さて、皆様方の郷土岡山県では、世界に誇る本州と四国を結ぶ瀬戸大橋をはじめ、高速道路綱、岡山空港といった高速交通網、また高速通信回線である「岡山情報 ハイウェイ」の整備が進み、中四国のクロスボイントとして着実な発展をとげております。

 また、日本においては、現在、地方分権の確立をめざして市町村合併が強力に進められており、岡山県においても、78市町村から32市町村に再編されるなど皆様方のご出身の市町村が大きな変貌のときを迎えております。また、岡山県では、今年九月及び10月に全国からスポーツ選手団を迎え、「晴れの国おかやま国体」を開催いたします。ブラジル岡山県文化協会からも、岡会長をはじめ四名の方がおいでくださるとのことで、お会いできるのを大変楽しみにしております。「195万人のスクラム」を合言葉に、県民をあげて「心温まるおもてなし」でお迎えいたします。

 皆様方も、機会がございましたらぜひ岡山にお越しいただき、発展し続ける岡山の姿をご覧頂きたいと願っております。

 最後に、本日お集まりの皆様方をはじめ、岡山県出身者並びにご子弟お一人お一人のご健康、ご繁栄と、日系社会の一層のご発展を祈念いたしまして岡山県民を代表してのご挨拶といたします。

           平成十七年八月七日

 

岡山県知事 石井 正弘

 

 

 

挨拶 在伯岡山県人会グァタパラ支部長 

                    真名子 
和博

 本日は早朝より遠路、多数の方々の参加を頂き、御同慶にたえません。当移住地は皆様、すでに御存じかとは思いますが、笠戸丸による第一回日本移民、鹿児島、高知、新潟、各県より計23家族、88名が1908年配耕された、ゆかりの地であります。この笠戸丸移民を始めとする、四百柱にものぼる先輩移民が、この地で苦闘され、大望空しく志半ばにして、ファゼンダ・グァタパラの旧墓地に永眠されて居りました。1968年に市条令で此の旧墓地が廃墓地となる事が決定されました。拓魂は我々移住者の悠久不変の信条であります。そこで、旧墓地に眠る無縁仏の遺骨を発掘、ここに埋葬、開拓先没者の霊魂を祀り、その偉業を称え併せて、移住本来の使命と信条を末永く子孫に伝承すべく拓魂碑を建立致しました。
 尚、最近、小泉首相来伯の折りには上空より拓魂碑に対し、花束を投下する予定を急速変更、地上に降り立ち、感動の交流を果たし、その夜の放送ではグァタパラを偲び、首相の感涙を誘うと云うハプニングがあり、全伯の周知する所となりました。此度、岡山県人、ブラジル移住九十五周年式典を当地で催されるに当たり、これを機縁に、移住本来の原点に立ち帰り、先駆移住者の数々の教訓を心の糧として、今後県人会並びに会員皆様方の益々ご発展あらん事を祈念し、私の挨拶に変えさせて頂きます。どうも有り難う御座居ました。
 

 

深掘先生一行来耕

 

 お手紙で連絡のあった、元グァタパラ・カトリック信徒会でシスターとして勤務、日本語学校の先生もしておられた深掘光子さんは、去る8月9日、日本のカテキスタ井上副総長と共にリベロン・プレットに飛行機で到着され、新田文協副会長が出迎えられた。飛行場では出迎えた新田氏の前を深掘先生は気がつかずに横切られたと憤慨?しておられたが、十年一昔とは申せ、先生もほとんど変わっておられず、懐かしい対面であったことと思う。午後六時より文協、カトリック信徒会、日本語学校合同で歓迎会を催したが、準備は信徒会と日本語学校の役員の方々で、催しも深掘先生が関係された日本語学校の生徒の発表会に太鼓やソーラン踊りの披露もあり、それにJATAKの方々も参加され、百五十名以上の参加者で賑わった。
 憩いの家で二人は休まれ、次の日、十日は深掘先生がグァタパラに紹介されたマシェル神父様によりリベロン・プレット市内の案内等を行われたが、その前、九時より深掘先生、井上副稔長にマシェル神父様と信徒会長に会員数名で中島先生のお墓参りをされた。午後六時過ぎにグァタパラにもどられ、荒川宅で夕食をとられ、七時半より聖家族教会において通常非日系人主体の水曜家庭訪問ミサを今回は合同で教会において行った。ミサでは井上副総長に聖書の朗読を手伝って頂いたが、さすが心の洗われる様な朗読であった。
 次の日は地区内の訪間をされ昼食は脇山謙介宅でとられ、夕食は近藤四郎宅でとられるなど強行な旅の疲れを癒す暇もなく、動き回られた事となるが、先生の気持ちは十年前に戻り、若返られたのではないでしょうか。次の12日、グァタパラの約4日間の滞在を終え、午後1時30分のリベロン・プレット発サンパウロ行きの飛行機でお帰りになられた。

伊部真美さんからのお便り

 

グァタパラの皆様御無沙汰しております。お変わりありませんか。月日が経つのは早いもので、帰国してから7年になりました。「桃太郎状態になるよ」とは出発前から聞いておりましたが、本当にその通りで、帰国直後は様々な事が大きく変わっていることにとまどい、慣れるのに、しばらくかかりました。
 客観的に見ると、変な日本人だったと思います。例えばブラジルで習慣化した、どの人とも普通に会話すること、日本では知らない人とはあまり言葉を交わしません。人見知りもせず話しかける私はかなり気持ち悪かったかもしれませんね。(笑)今は大変落ちついて、英語や日本語を教えています。最近では短期で来ていた韓国人大学生たちに日本語を教え、大変有意義な時間を過ごすことができました。宝物になる出会いです。   昨年の今頃はスペインのEl comino de CompostelaをCebreiroというところからSantiagoまで歩きました。人との出会いに恵まれ、心豊かになる時間でした。
 私が居させて頂いた当時の小、中学生の皆さんはもうすっかり大人になられたのでしょうね。きっと見違えるほど美しく、またかっこ良く、それぞれの道を歩いていらっしゃることと、心に描いています。皆様のことをなつかしく思い出しながらペンを取りました。日本ではご存知のように、自然災害や天候不順で生活や健康のリズムを崩されているところが多々あり心を傷めています。グァタパラの皆さまはパワフルでいらっしゃいますが、それでもいろいろご苦労されていることと存じます。どうか皆様お体を大切に、そして恵み豊かな日々を、心からお祈り申し上げます。

 Estou com muitas saudade de voces

 私の大好きなポルトガル語です。皆様のことを心に思いながら。

伊部 真美

 

お礼の手紙

 

皆様 グァタパラ滞在中は大変お世話になりました。なつかしい方々との再会、思いがけない大歓迎に驚きと、うれしい気持ちでいっぱいでした。裏面の文はおるすばんをしていただいた方々におみやげと一緒にさしあげたものですが、年をとるとやはり長旅はほんとうに疲れてしまいました。でも、皆様の以前とは変わらない笑顔とご親切に触れて、日本では味わえなかった心の平安を感じさせていただきました。十余念の空白は全くないくらい(私の記憶喪失を除いては)のグァタバラの皆様のお心尽くしに、心から感謝いたしますと共に、皆様のご健康と移住地の発展をお祈り申し上げます。

 2005年月8月15日

  

ブラジルへ行ってきました

 

  二〇〇五年八月三日〜十四日にブラジルのポートアレグレ、イグアス、サンパウロと強行軍の旅行でした。成田〜ニューヨークまで十三時間、ニューヨーク、ケネディ空港での二時間の厳しい検査のあと、サンパウロまで九時間の飛行時間はとっても疲れました。機内では往復で十本の映画を見ました。

 ブラジルでは、なつかしい人々との再会はもちろんですが、広大に広がるコーリャン畑の間から顔をだしたふくろうがやさしく私たちを迎えてくれたこと。行く先々でとってもおいしいコーヒーが飲めたこと。イッペという黄色いブラジルの国花が澄み渡る青空にとてもよく映えて美しかったこと。

 イグアスの滝は偉大で感動したことetc.です。しかしサンパウロ中心の交通の混雑にはいささか閉口しました。成田に着くと、お盆休みで街路は深閑としていて、ああ−帰ってこれたなあ!つて、最近の航空事故のことを思い、神さまのご保護を感謝しています。

 2005年8月14日

 

深掘 光子

 

すてきなお店をつくりませんか?

 

JATAK研究員 田中 規子

Vamos fazer uma loja para vender a producao de Guatapara?

Pesquisadora da JATAK Noriko Tanaka    

 以前に私がトメアスーを訪れた時につくづく関心してしまった。どの家も、庭先などで野菜や薬草をつくったり、味噌やトウフやお菓子をつくったりして、手作りのもので工夫して食卓を賑わせておられたことである。今の日本ではとうに忘れられた懐かしい光景であり、味なのである。

 またそれら手作りのものは各家庭の食卓を彩るだけではなく、小さな生産者にとってはそれを日々販売していくことが、農家経営の支えになっていた。トメアスーでは元農協購買部のスーパーで、日系農家の生産した野菜や加工品などたくさんの種類の商品が販売されている。

10数名の日系の生産者が過に2回、早朝にスーパーに売りに並ぶのである。スーパーに並ぶ葉野菜、ナス、キュウリなど10数種の野菜や果物のほとんどが、トメアスーの農家の産物である。また、村のご婦人たちがつくった和菓子やお弁当の種類も豊富で、素朴な味わいのものであった。最近日本でも「地産地消」という考えや、農家のサイドビジネスとして、直売所や農産物加工が流行っていることからも、ブラジルでのこのような取り組みにも興味を持っていた。

 ついこの6月に、塩谷所長とサン・ミゲル・アルカンジョを訪れた際、主に農家の女性が集って経営しているカザロンという直売店に行ってみた。これは普通の家を借りて改造した店である。決して大きな店ではないが、木のぬくもりを感じる店の作りで、中に入ると手芸品や瓶詰め、はちみつなどが見やすく並べられている。店の中ほどに、カフェを飲めるテーブルがあり、店で毎日焼いているパンや、手作りのお菓子も置いている。なかなか素朴な味わいのある良いお店であった。このカザロンは、SEBRAEでパン焼き、フルーツの瓶詰め作り、有機野菜生産などの講習を受けた生産者が、その生産物や加工品を持ち寄って売る売店を2002年からはじめた。きっかけは、サンパウロから訪れる観光客に、おみやげとして販売する商品や店もなかったため、なにかそういうお土産屋さんがあれば、という発想からであった。現在カザロンに販売している生産者はパン製造二家族、野菜5〜6人、ブドウ洒・ピンガなどリキュール酒3人、瓶詰20人前後、その他ハチミツ、プロポリス、手芸品、石鹸なども販売されている。
  店の売り上げは、季節によって異なるが、7月は7500レアルの売り上げがあった。2月〜3月はぶどうの季節なので観光客が多く、店の売り上げも伸びる。
 7月、十二月も休暇の時期なので観光客が多い、比較的売り上げの少ない4月は5000レアル、5月6000レアル、6月5800レアルであった。
 また店の売り上げのうち三分の一がパンの売り上げが占めている。7月はパン製造販売者のうち2人が2000レアル、他方が2800レアルの売り上げであった。一人で一カ月3000レアルの売り上げがあれば、経費を除いた60%が利益になり、1800レアルの純利益をあげられれば野菜生産よりも儲かるという計算になるのだそうだ。ちなみに、パン製造だけでなく、観光客相手の朝食、昼食、夕食、ランシ、おやつの仕出しを請け負うこともあり、パン製造を請け負っている人の売り上げにはこれも含まれている。なおこの店に生産物や加工品を販売するためには会員になる必要がある。会員になるには生産者であることと、月会費10レアル、店舗掃除代11レアル、売り上げの15%を納めることである。パン製造者は、この他に店のパン製造施設で使う電気代、ガス代などを負担する。
 以上のような生産者の収める会費と売り上げの15%のマージンで運営されており、赤字の場合は販売額に準じて生産者が支払い、黒字であった場合は積み立てていく。またこのカザロンを維持していく一カ月の経費は、おおよそ1285レアルで、その内訳は販売員労賃二名分(600レアル)、家賃(220レアル)、電気代(180レアル)、電話代(百十レアル)、日曜休日出勤労賃(八十レアル)、水代・袋代(九十五レアル)となっている。つまり7月でいえば、店全体で6205レアルの純利益で、生産者の利益率60%とすると、生産者全体の純利益は3729レアルである。
 このような小規模な店舗ではあるが、多くの生産者によって運営されており、今後も拡大していくことを予定している。次は市が提供してくれる用地に、地元のユーカリ材でログハウス風の新たな店舗を建て、野菜のコーナーを拡張するとのことである。この店のお客さんは、パンについてはほとんど地元の人で、その他は半分ぐらいが観光客である。また、お客さんの中には固定客もたくさんいる。店を始めたばかりの頃、商品の良さをわかってもらって固定客がつくまでは苦労したという。このような店は、最初からもうけ優先ではうまくいかないので、皆で成功させようという意気込みが肝要だとのことであった。

 さて、グァタパラについてであるが、グァタパラの直売所といえば州道沿いにある上原さんの直売所がある。上原さんの直売所では、COAGから買っている卵、上原さんが生産している地鶏卵、地鶏などの地元の生産物が売られている。店の立地が州道沿いということで、多くのトラックや車が立ち寄っていた。既にお客さんも、ここの卵が新鮮なものだということを知っていて、固定客も多いそうだ。(なお、川上商店、茂木商店にもグァタパラの生産者による味噌漬けなどの加工品も販売されている)将来的には、移住地で生産された野菜や果物なども販売できるようになれば、直売所も商品が豊富になり、また野菜や果物の生産者も販売活動が広がるのではないかと思う。そうしてグァタバラの意欲ある生産者が集まって、直売活動が拡大していけばもっとグァタパラの農産物を広くアピールできるのではないかと思う。
 トメアス−にしろ、カザロンにしろ、グァタパラの直売所にしろ、生産者一人一人の収入としてみれば、小さなものかもしれない。しかし鶏卵は別だが、収穫時に収入がかたより、またその時の価格変動に大きく左右されてしまう農業経営を考えてみれば、収入は小さくとも毎日安定した現金収入が入るように生産物や加工品を直売していけば、ある程度経営を補填していけるのではないか。 
 このような直売店は、生産者にとってだけではなく、その地域に住む消費者にとっても嬉しいものである。新鮮な地元産のものが種類豊富に食べられる。私もここグァタパラに住む一消費者として、そんな店で新鮮なおいしいものを買い物したり、地域の人とおしゃべりしたりできる場があればと思う。そしてそういう場にブラジル人も集うようになり、日本人の食べているおいしいものを食べるようになれば、いわゆる食文化が交流し、充実していくのではないだろうか。

   

第二十回汎米教師合同研修会に参加して  林 緑

 

 7月12日から22日まで、サンパウロで行われた日本語教師研修会に参加いたしました。この研修会は七ヵ国(ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビア、ペルー、コロンビア、カナダ)から29名の日本語の教師の比較的年数のあさいい先生方対象の研修会でした。研修内容も年少者対象だったので、私にとってたいへん参考になりました。朝9時から4時まで日本語センターで行われました。昼休みとお茶の時間以外はビッシリのプログラムです。日本語はある程度はしっていますが、日本語の教授法は習った事がなく、今まで手さぐりの授業でしたので、研修を受けなくてはと思いながらもなかなかチャンスがなく、ようやく今回受けることが出来ました。一日中勉強したのは何十年振りの事です。それにしてもいろいろな教え方があるのだなーとビックリしました。絵カードを使ったり、文型カードを使ったり、ホワイトボードにそれらをつけて、スピードのある教え方をします。また、アクションをまじえてリズミカルに教えていらっしゃるのが印象的でした。生徒とゲームなどコミュニケーションをとり入れて、楽しく授業をするのも大事だと思いました。いろいろな先生方の教え方を見せていただいて、どれもたいへん参考になるものばかりでした。また授業を行う前に必ず教案を書きなさいと言われ、教案の書き方の練習もしました。最後に各グループに別れて模擬授業を行いました。どのグループも何日も練習して教材も手作りしてすばらしい授業でした。私も5分間くらい行いましたが、先生方の前で授業を行うのはたいへん緊張しました。それぞれの授業を批評しあって研修が終わりました。
  最後の日は終了式です。各理事長のあいさつがあり、「この研修会はとても有意義なすばらしい研修会でした。講師の先生方もすばらしいし、研修内容もすばらしかったです。でも一番すばらしかったのはあなた方です。」と言われた時は感激し、皆涙がとまりせんでした。講師の先生方のあいさつに「どんな生徒にも教えられるようになりなさい。」と言われた事も印象にのこりました。とにかくこの研修会で得たものは山程あります。 私たちはプロなんですから、プロとしての自覚を持って教えて頂いた事をだんだんと授業に生かしていきたいと思っています。
 この機会をあたえて下さった皆様、お世話して下さった皆様、また家族に感謝いたします。ありがとうございました。

 

作文: リサイクルをしよう

 

脇山 幸三

  リサイクルとは一度使った物をもう一度使うことが出来るようにする作業の事です。例えば、使い捨ての紙、ガラス、アルミニゥム、プラスティック製の物です。リサイクルはとても大切な作業です。なぜかと言うと汚染をふせいでくれるからです。ブラジルではリサイクルはあまり使われないので、街や、森、川などがはとんど汚れています。それは、街の人々がリサイクルを使わない為、ゴミや食べ物の残り物を街中、森川などに捨ててしまうからです。その為、街は臭くなったり、汚れていたり、森の動物が死んだり、暮らす場所をなくしたり、森の植物が枯れたり、川の水が汚れて魚や川の水を飲む動物が死んだりして、最悪の事態になります。ですがリサイクルがあれば、その被害から逃れる事が可能ですし、一度使った物をリサイクルすれば又使えるお得も有ります。ですが何より良いのは、その使った物の原料を作る作業が少しだけやわらげる事です。それは例えば、紙の原料である木を切る作業が少なくなり、その木を植える会社の為になるので、多くの人の為になるのです。ですが、ブラジルでは、ゴミを無謀に捨てる人ばかりではありません。ちゃんとリサイクルをしている人も沢山います。例えばマッチ棒を使って家や車、街一つ作る人がいます。ボトルを使ってバイ・エ・ベン(日本語で行って戻るの意味)と言うオモチャや、車などの色んなオモチャを作る人、雑誌のページを破いて絵を作る人とか色んなリサイクルの使用法をしている人達もいます。 要するに、いつ、どんな時でも、ゴミをゴミ箱に、出来ればそのゴミを種類別に分けてリサイクルがしやすいような制度にしたら、大切な地球の資源を大事に使えると思います。

 

作文: わたしたちの村

 

高木 美帆

 私の村はサンパウロ州にあり、アララクァラとリベロン・プレットの真ん中へんにあります。村には日本人が120家族ぐらい住んでいます。ブラジル人は50家族ぐらい住んでいます。村の人は養鶏をしている人や豚を飼っている人やにんにくや姫まつたけや花を育てている人もいます。日本に働きにいっている人もたくさんいます。村の中心には会館があります。会館の中には日本語学校、ゲートボール場、サッカー場とプールがあります。日本語は金曜日と土曜日にあります。生徒達は日本語の休み時間にサッカーをやります。ゲートボールは村のおばあちゃんとおじいちゃん達がやります。時々ここで試合をやります。プールは土曜日と日曜日の夏の間だけあきます。 村の行事は新年会や成人式や入植際や運動会やぼんおどりや紅白歌合戦があります。村には青年会や婦人会や長寿会があります。青年会は運動会と入植祭の準備をやります。入植際には、日本学校の生徒達は太鼓と踊りをします。時々よその町に行くこともあります。 私達の村はみんなたすけあって生活していて大好きな村です。

 

作文: 日本のこと

 

 林 貴良

 ずっと前の12月の終わりごろ、ぼくとお母さんは日本につきました。ひこうきで2日間もとんでいたのです。ひこうきにいてぼくはつかれました。日本について荷物をはこびました。そこにはお母さんのお兄さんが待っていました。お兄さんの車にのってひこうじょうからおばあちゃんの家へむかいました。家までは4時間くらいかかるそうでした。ぼくはつかれてねていきました。ぼくがねているとすぐにおばちゃんの家へつきました。ぼくはおばあちゃんとおじいちゃんとお兄さんとおねえさんにまた会えてとてもうれしかったです。お母さんもみんなに会えてとてもうれしかったと思います。日本は冬だったので雪がふっていました。ぼくが雪を見たのははじめてです。ぼくは日本にいとこがいました。でもそのときは学校にいました。すこししたら学校から帰りました。ぼくはいまごろ学校があるなんてふしぎだなと思いました。ぼくのいとこの名前はかずきと言います。かずきは学校から帰ってきたのでぼくはあいさつをしました。その日はもう夜になってきました。夜になってきたのでおじいちゃんとおんせんにはいりにいきました。おんせんにはいっぱいしらない人がいました。おんせんはとてもあつくてすいどうからつめたい水をいれなければおんせんに入れませんでした。おんせんに入ってからおじいちゃんと家へ帰りました。ぼくはじさぼけでねむれないと思いました。でもつかれてすぐにねました。つぎの日ぼくはかずきとお母さんと行きました。学校には大きなさかがあってそこでソリにのりました。とっても楽しかったです。大きなさかだったから上るのにひとくろうでした。ぼくとかずきは楽しみながら大きな雪の山を作りました。すごく大きく作りました。おばちゃんちの屋根までとどきました。いっしょに作った雪の山に上ぼって、屋根からもつもった雪をスコップでとりました。太陽が強くなって雪はとけはじめました。屋根の上はつるつるになってすべりそうになりました。おばあちゃんが家を出、「あぶないからおりなさい。」と言いました。ぼくたちはすぐに下りました。つぎの日はお店に買い物にいきました。ほかの日はぼくはゆきだるまを作ったりしました。ほかの日はお母さんの友だちの家にいったりしてつぎつぎ日がたちました。とうとうブラジルに帰る日が来ました。ぼくはさびしかったです。お母さんもさびしかったと思います。みんなとさよならをしてうならをしておじちゃんとおばちゃんに車でしんかんせんにのりばまでつれていってもらい、しんかんせんにのっておじちゃんとおばあちゃんとわかれるのはさびしかったです。ぼくたちはしんかんせんをおりてひこうじょうのそばのホテルにいきました。つぎの日にバスにのってひこうじょうに行きました。ひこうきにのって日本から出ました。ぼくはあの一ヵ月間はとても楽しかったです。

 

作文: 今年の入植際

 

 上原 和晃
今年の入植祭はとてもにぎやかになると思います。そのためにみんないっしょうけんめいがんばっています。ぼくたち日本語学校もがんばっています。作文や、習字、書き方、絵などいっしょうけんめいやっています。演芸会にはよさこい夢まつりと南中ソーランをおどって太鼓とぜに太鼓もやります。今年も日本語学校で売店をひらきます。いそがしくてたいへんだけどみんな楽しくやっています。婦人会の人たちはべんとうを作ります。青年会の人たちはやきとりや、ぎょうざ、てんぷら、そして夜のぼんおどりの時にはうどんをやります。たくさんの人たちが来るのでみんなで力を合わせていっしょうけんめいやります。今年もいい入植際になればいいと思います。

 

作文: ふゆやすみ

 

  こんどう しげお

 ぼくは、ポンフィンのおばあちゃんのいえへあそびにいきました。バストスのたまごまつりにいきました。やきそばとうどんをたべて、おいしかった。しゆうかくさいで、ミキコおばちゃんのみせのてつだいをしました。たいこもたたきました。ぼんおどりもしました。うんどうかいには、足にケガをしていたのではしりませんでした。おわったのでいえへかえりました。

 

作文: ふゆやすみ

 

 しみず ともひこ

 ぱくは、パパイとアララクァラのショッピングへたまごをもって行きました。サンカルロスのドットへももっていきました。リベロンへもいきました。うんどうかいでアメとりとパンくいきょうそうとリレーにでました。

 

作文: ふゆやすみ

 

 ふじやま みつお

 ぼくはいえでアニメのテレビをみんなでみていました それからみつひろと車のビデオゲームもしました。レストランでコップをあらうおてつだいをしました。

 

大豆の料理講習会

 

 SEBRAEによる料理講習は去る8月18、19日の2日間年前8時より五5時まで行われたが、今回は何の料理講習が良いか希望をとったところの多かった大豆の講習会となったわけである。参加者も28名と多く、講師には日系人には初めてとかのアララクァラよりミルナ女史を迎え、二日間賑やかに楽しく講習会を行った。
 料理は豆乳を作り、豆乳ジュースとオカラでケーキ等10種類くらいの料理を習い、おいしいオーロラ大豆が手に入る事から、食べ物で一番栄養価のある大豆の大変有意義な料理講習会であった。



俳句 グァタパラ俳句会 八月

春眠やテレビの音も、心地良き    菅原治実

軒下でねこも脊のばす冬日和     藤原露子

春立つや記念碑建てて庭清がし    脇山千寿子

春眠の手より落ちたるメガネかな   寺内ユキエ

音もなく七月の雨降り止みて     田中独行

寒椿小さき蕾落にけり        古谷津奈夫

一句得て歩くしじまの柿落葉     佐藤美恵子

小さき庭小さき暮し冬の水      栢野桂山

 

次何、九月二十四日。当番、菅原。

兼題、春の蘭、遠足、わらび。

 

会葬御札

 

 

 父、真名子敏行(五十四才)儀、加療に専念致して居りましたが、薬石効無く、去る八月八日午前五時、リベロン・プレット市サンルッカス・リベイラニア病院にて永眠致しました。当日、午後四時より、当地聖家族教会にて葬儀、告別式を行い、後、当グァタパラ墓地に埋葬致しました生前・御交誼下さいました皆様には、謹んで御礼申し上げます。尚、葬儀に際しましては御繁忙中にも・係わらず、多数の方々の御会葬を頂き、その上丁重なる御弔辞、御香典を賜り、厚く御礼申し上げます。

                                        喪主 真名子徳行

                                           他 親族一同 尚、香典返しの儀は略させて頂き、寸志を当文協、聖家族教会に寄付させて頂きました。

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