近藤安雄氏の日記より

 

 

No.12

1962年1月10日

 グァタパラ移住者第一陣12家族が1月12日サントス港に到着しました。 近藤安雄氏はグァタパラ移住地へ向う移住者を横浜港で見送り 、飛行機でブラジルに向って43日後サントス港で移住者を迎えました。

 

1962年1月8日

 

 8時会社に行く。9時からグァタパラ委員会(15回)を開く。議題は先遣隊の受け入れ態勢の件でリオ〜サントス間、サントス〜グァタパラ、グァタパラ駅〜現地に分けて各機関の準備状況を打ち合わせる。船中で携行金をコチアに預金させること、鈴木貞二郎氏が乗っているので羽田氏がリオに行って動揺防止に当ることなどを話す。サントスの出迎えについては鈴木氏がお祭り騒ぎにならないようにといい、県技師の出迎えを認めない、これは休暇を取って自発的に旅費は私が2名分(11コント)を支払う。また到着時の食事も他の移住者と違った特別の待遇をしないようにということで事業部で出してはいけないと言い禁止された。昼過ぎ散会。

 

 

 

1962年1月9日

  
 午後から会社へ行くと歓迎の旗を作りたいがどのようにしようかというので、布を切らせ4枚にして縦2枚、横2枚の「歓迎グァタパラ」という大旗を作る。マジックインキを使い赤と黒で何とか仕上げた。午後田草川、松本(山形)久保田(茨城)と鈴木という山形出身の青年隊員が出迎えに来た。2名に旅費を出す。

 

1962年1月10日

 

 朝早く起き、グァタパラに当分住み込む予定で荷物を作る。手提げカバンに入るだけ持ち、ラジオと写真機 風呂敷をもって会社へ行く。バリカン一式とラジオと風呂敷を久保田、鈴木君に預ける。
 9時会社前を出発、会社の車でサントスに向う。10時着。港に着くと1時半ごろになるというので移民収容所に行き、さらに三笠ホテルに行って部屋を予約、昼食をし海岸を通って埠頭に行く。海岸で入港してくるアルゼンチナ丸を迎え旗を出したが、船からは見えなかったと言う。
埠頭へは2時に入港、2時半着岸という。大勢の日本人が来ていた。、谷垣、西村、斎藤と言った顔ぶれが見える。山中氏の顔もあった。
 縦の旗を流すところはなかったが横の旗は有効でこれを見た移住者は本当に嬉しかったと言う。私の顔を見て喜んでくれる人も多かった。


 長い間待たされ検閲が終わってから一人100ミルづつとって乗船を許した。こんなことは日本人が悪習をつけたのだという。船中はごった返していて久闊を語るひまもない。船中のバーでちょっとビールを飲んだ。皆健在でいることが何よりであった。今夜移住者はコチアの出張所に分かれて行って携行金の預託手続きをしただけ。8時ごろ分かれて三笠ホテルに戻る。

 

 

1962年1月11日

 

 

 8時下船ということで早く港へ行く。下船はしたがすぐ待合所に入り待たされる。グァタパラは最後に回される。午後2時やっと荷物検査が始まり大人だけが入る。コチアから島袋君以下のベテランが検査場に入って立ち会ってくれたので言葉の心配も余りない。ボツボツ荷物の検査を終わり貨車に積まれかけたのが夕方、暗くなってやっと終わる。税金、通関料は全部コチアが立て替えてくれた。暗くなってから歩いて収容所に行き、一同に会ってホテルに戻る。

 

1962年1月12日

 

 コチアの人に早く起こされる。今日の持ち込み食品を買い込むために早くから動いている。5時であった。感心する。
7時ごろ収容所に行くと港に行ったと言うので埠頭へ行く。皆は乗り込んでいた。たいして待たずに動き出す。乗り遅れた人があったがサントス駅で追いついた。ロープウエーのようにしてサントス、サンパウロ間の急坂を上り珍しさに驚く。

 

 

Top

1